司修さんが手がけた小川国夫関連の仕事として、何をご紹介しようか
と思って探しましたが、まずは、コレ。
2008年4月8日に小川国夫さんが亡くなったとき、
すでに予定されていて、没後に“遺作随想集”として刊行された
『虹よ消えるな』(講談社)です。
司さんは、この本のカバーと扉の装画、装幀を手がけています。
この本には、実は、映画『デルタ』プロデューサー仲田恭子の名前が登場します。
「骨折以降」という文章の後半に、出てきます。
小川さんは仲田演出の舞台を、藤枝市の蓮花寺池公園の畔にある野外劇で観たそうです。
するといきなり現われたシーンは、山の木だちのあい間に陣取った狐の群れでした。その狐こそ、退行に退行を重ねる私のかなたの極点にいる生き物と思えてきました。
と小川さんは(仲田演出の劇について)書いています。
そして、幼い日に聞いた狐の鳴声を鮮明に思い出して、
「退行の何なのかを教え、目を開かせ」られた、とつづけます。
今や私は忘却の霧のなかから、多くの宝を呼びもどしている、これは退行ではなくて、帰還だ、そのうちに私は、自分の生涯よりもはるかに広い時間の中に自分を解きはなつことができるだろう。
もともとは亡くなる9ヶ月ほど前に「日本経済新聞」に発表された原稿ですが、
こうやって書きながら、晩年の小川国夫のペンが伝えてくれる迫力をあらためて感じています。
下窪俊哉