人形作家、井桁裕子さんより、レビューをいただきましたのでご紹介させて頂きます鍊
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レビュー:
あえて、原作は読まずに観に行きました。
「誘惑として、」「他界」「ハシッシ・ギャング」の三作です。
「誘惑として、」。
二人の男が向かい合っている。
一人は小説家。そして彼にむかって、自分も書きたいことがある….と語るもう一人の男。
過去にたくわえた強い思いは薄れるどころか、今もなお細部にわたるまで思い起こされる。
それは極限状態での幻覚と愛情、あるいは束の間の激しい情事。
映像の中の彼らの「記憶」は、ひどく鮮やかで、熱い空気と汗のにおいがする。
男とはこのようにその後の人生をずっと貫くようにして過去を背負うものなのだろうか。
それがいかにも「男の記憶のありかた」らしく思えて、生々しく感じられた。
恋人や友達として身近に出会う男達は皆、時々なんとなく黙って、何か思っている様子の顔をする。
そんな姿は、近くにいる人ほどなおさら遠い感じがする。
その遠さはそのまま、彼の追い続ける自分の記憶との距離なのかもしれない。
寡黙な男であれば、その思考の中でも記憶を言葉に置き換えたりできず、ただどっしりとまるごと負っているに違いない。
男の体力はそうやって過去を背負い続けるために必要なものとして備わっているんじゃないのか、などと、この映画を観ながら思った。
小説家だけでなく、こんな映像を作る人も、きっとまるごとの何かを隠し持っているのだろう。
3本、違う映画なのだけど、それぞれに良かったです。
「他界」戦争の記憶を語る老人が失踪し、捜索する人達のそれぞれの思い。妙に乾いた、謎めいた空気を感じた。
「ハシッシ・ギャング」手も握らずに別れた女の声の幻聴を聞く男。墓場に集う、幻聴愛好者たち。不気味でありながらなぜか心地よい。
あの幻の描き方や音楽の意味不明さなど、別世界すぎて逆にリアルな気がしました。
原作を読んでいたら、また違う見方になったかもしれません。
もう一度観て味わいたい映画だと思いました。
井桁裕子