小川国夫に関する2010年最大のニュースは映画『デルタ』の公開でした!
…と、言いたいところですが、それより『弱い神』(講談社)の刊行でしょう。
『弱い神』は、明治~昭和を生きたある家族とその周辺を描いた長篇ですが、
その最大の特徴は、この小説が、複数の人の《声》によって成り立っていることです。
小説には「人称」というものがあって、「私が」「ぼくが」といった一人称、
「彼が」「彼女が」「誰それが」といった三人称、そして「あなたが」「君が」といった
二人称など、いろいろな「人称」がありますが、『弱い神』はもっと複雑です。
いや、基本的には一人称で、いたってシンプルなのですが、語り手と聞き手が複雑に入り乱れて、
「複数の一人称」による多彩な《声》によって、物語が炙り出されているようです。
何という世界でしょうか。小川国夫さんは音楽を意識していたかもしれません。
たくさんの人によって奏でられる声のポリフォニーを聴いているようです。
『弱い神』に出てくる語り手たちは、小川国夫というひとりの作家のなかに
生まれた素晴らしいミュージシャンで、彼らは小川国夫という音楽にのって、
これでもか! というほど躍動しています。
『弱い神』のような作品とは、世界の文学史を見わたしても、
そうそう出会えるものではないでしょう。
下窪俊哉