小川国夫と大阪芸術大学(続)

2日間に渡る大阪芸術大学での上映にご出席くださった
学生の皆さん、ありがとうございました!
どんな感想をお持ちになったでしょうか?
本ブログやtwitterなどを通して、ご意見・ご感想はどしどし
お待ちしておりますので、よろしくお願いします!
さて、その大阪芸術大学で、小川国夫さんの責任編集として
出していた雑誌には『河南文学』(創刊号~第12号)のほかに
2003年に2冊だけ刊行された『河南文藝 文学篇』があります。
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このように、小川国夫の肖像が表紙を飾った号もありました。
山藤章二さんのイラストです。
この号には小川国夫の大学での講義録が丸々一回分載っています。
「小説の方法」と題して、小川流の“ハウ・トゥー・ライト”を語ったものですが、
小説とは、「個人に深く関わること」だとしながら、
ホフマンスタールの言葉をひいて、自分の一生で耳に入ってくる“肉声”は
祖父祖母から孫の代、せいぜい曾孫の声までで、140年くらいか、と語っています。
まさに自分史です。ストレートな自分史ではないかもしれません。
もっと自由に拡大した自分史というものが、ぼくの小説です。
源氏物語は千年も昔の自分史ですよ。ぼくはその千年あとでも書くんです。
そう考えると、これは文学者のぼくの義務だ。紫式部がやったように
ぼくはぼくのフィールドでそれをやるんだという考え方が自然と出てくると
思うわけです。それが我々が文学をやる上の、
一つの基本に据えるべき考え方だと思います。

こういった話を重ねるなかで、生前最後の随筆集となった
『夕波帖』収録の「耳を澄ます」などの考え方が生まれたのだと感じます。
その話は、また。
※12/21(火)シネヌーヴォ初日上映&トークショーの予約の受付を
 行っています。詳しくは、コチラをご覧ください。

下窪俊哉